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2020.10.12
中学生向け
【歴史】”犬公方”徳川綱吉はなぜ生類憐みの令を出したのか?
後継ぎに恵まれない綱吉が信じた儒学の教え
徳川綱吉。
「生類憐みの令」を出した江戸幕府第5代将軍として有名です。
なぜこのような、極端な動物愛護の精神に基づいた法令が生まれたのでしょうか。
第4代将軍の家綱には子どもができず、弟であった綱吉が家綱の養子となり、第5代将軍となります。
しかし、綱吉には娘がいたものの、後継ぎとなる息子がいませんでした。
当時、儒学を重んじていた綱吉は、「親を大事にせよ」という教えをモットーにしていたため、母親が勧めたあるお坊さんの言葉を鵜呑みにしてしまいます。
「あなたは前世で動物を殺してしまったので、子どもが生まれないのだよ。これからは、動物を大事にしなさい」
これを真に受けた綱吉によって、「生類憐みの令」が出されたというわけです。

動物の中でも、特に綱吉が大切にしたのが犬です。これは、彼が戌年生まれだったからだと言われています。
はたして、綱吉は男の子を授かることができたのかというと…結局、後継ぎは生まれませんでした。
そのため、甥にあたる綱豊が、家宣と改名して第6代将軍の座につきます。
家宣の死後、新井白石が政治をおこなうようになりますが、綱吉は死に際、彼にこう言ったそうです。
「何とか生類憐みの令だけは残してほしい」
しかし、綱吉が死ぬと新井白石は、すぐにこの法令を廃止してしまいました。

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