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2021年01月17日
【コラム】1月17日

いつもお世話になっております。積志校の山崎です。
 
本日、1月17日といえば26年前、阪神淡路大震災が発生した日ですね。
当時私は大学3年生。袋井市の実家から名古屋まで新幹線通学をしておりました。真冬の早朝に袋井市の実家が大きく揺れて目が覚めました。静岡県民であれば、常にいつか来る大地震への心の備えがありますから、(ついにきたか!!)と飛び起きました。
母は台所で朝食の準備中、新聞を読んでいた父がTVをつけ「震源は関西の方だな。」と速報を伝えてくれました。
(震源が関西で静岡がこの揺れ?)と信じられない思いがしたものです。
 
その後、新幹線に乗り名古屋に向かいましたが、名古屋より西に新幹線が行けないとのことで、全乗客が名古屋で降ろされ、駅のホームがとんでもない人ごみになっておりました。
 
大学に着くと、私は真っ先に学食に向かい、売店でサンドウィッチを買って授業前に食べるのが習慣だったのですが、学食に置かれた大きなTVの前に人だかりができており、画面にはあちこちから炎と煙が上がる神戸の街が映し出されていました。
 
当時は携帯電話が普及する前ですから、公衆電話に長蛇の列ができており関西方面出身の学生たちが真っ青な表情で何度も実家に電話を掛け、「つながらへん・・・」と肩を落としていました。その日の授業を受けたのかどうかすら記憶にありませんが、仲の良かった友人に神戸出身の子もいたので一緒に過ごしていたと思います。
 
その日の午後、友人の一人が「神戸行くぞ」と言い出しました。何かせずにはいられないという突き動かされるような思いが湧き上がってきて、若さゆえの無謀さも手伝って私たちは「そうだ、神戸行こう!」と立ち上がりました。友人が父親の所有する大きめのワゴン車を借りてきて、そこに私を含めた4名が乗り込みました。車を準備している間に私ともう一人が学生課や研究室を回り、職員や教授たちからカンパをせしめてきました。イギリス人講師の「Good luck, guys!」という激励の言葉がたまらなくカッコよかったです。
 
その後ホームセンターに行き、水やウーロン茶のペットボトル、缶詰、下着類、水が無くても洗髪できる便利グッズなどを買いあさりました。大きな台車にわっせわっせと積み込んでいると、ホームセンターの店長さんが「神戸に行くんですか?」と尋ねてきました。「そうです」と答えると、私たちが購入したものとは別に非常食とゴミ袋などを「これは私からです。お願いします。持って行ってください。」と大量に持たせてくれました。
 
店長さんは車に積み込む際にも「そんなに後ろに重いものを乗せると良くない」などのアドバイスをくれました。私たち4人を見回して「君、助手席に乗って。前にも重りがあった方がいい」と私に言ってきた時には(このヤロウ・・・)と思いましたが、緊急事態ですから受け流すことにしました。
 
そこから19時間掛けて神戸市に辿り着きました。道路の安全が確認された場所だけを、緊急車両最優先で通すため1時間以上止まりっぱなしということもありました。車に乗りっぱなしだと体が辛かったので車が進まない時には交替で車を降りてストレッチをしました。
 
神戸では現地の方に聞いて避難所になっていたキリスト教の教会に物資を運び、そこで一泊車中泊をして翌日名古屋に帰りました。
 
その後、後期試験が終わって2月に入ると私ともう1人の友人はあの時物資を渡した教会を頼って神戸にボランティアに行きました。1週間泊まり込んで、数日戻ってまた1週間といった具合で結局2月のほとんどを神戸で過ごしました。炊き出しの食事を配るお手伝いをしたり、近所の瓦礫の撤去を手伝ったり、有馬温泉のホテルが被災者向けに一泊二日食事付きの温泉旅行を無料で企画した時に申し込み者の受付を手伝ったり、主に雑用係でしたが精一杯働いてきました。
 
強烈な経験でしたが、特に記憶に刻み込まれているのは、炊き出しのお手伝いをしていた時に地元のおば様に「お兄ちゃん、どこから来てくれたん?」と聞かれ、「静岡県です」と答えたら、「静岡も地震来るやろ?お兄ちゃんの家がつぶれたら助けに行くでな」と言われたことと、炊き出しの煮物を作るおば様たちのお手伝いをしていたら、突然男性3人組が現れて「神戸ナントカホテル(←覚えてない)のレストランで働いている者ですが、炊き出しのお手伝いをさせていただければ」と名乗り、ほぼ完成していた煮物の味を見て、そこにあった市販のごく普通の調味料を加えたらウソみたいにメチャクチャ美味しくなって(プロすげぇ・・・カッコいい!!)と感動したことです。
 
阪神淡路大震災は自分の人生にとって、非常に影響が大きかった出来事です。色々なアルバイトなどを経験していましたが、働くことへのやりがいという面ではあれに勝る経験は無かったと思います。
 
その後東日本大震災なども経て、静岡県にも南海トラフ巨大地震などがいつ起こるか分からないという不安はありますが、ペチャンコになった秀英の校舎の前で呆然と立ち尽くす私の元に「お兄ちゃん、来たでぇ!」とド派手なアニマル柄のセーターを着た神戸のオバチャンが駆けつけてきてくれると思うと、それも悪くないかもな、と思います。人と人とのつながりや絆って大切ですね。
 
 
1月17日の思い出話でした。

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