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2021年09月17日
子別れと笠碁
こんにちは。本間です。
学生時代から落語が好きで、新宿の末廣亭というところに、ちょくちょく足を運んでは大笑いしておりました。
愛知に来たタイミングで名古屋の大須演芸場が再開してくれたこともあり、こちらに来てからも何度か楽しませてもらいました。
教員志望だったので、「噺家の技術をまねれば授業やスピーチがうまくなる」と考え見ておりました。
いろいろな技術があるのでしょうが、素人目にもあの間や速度の緩急、声の大小、身振り手振りというのは、すばらしいですね。
まさに芸術、といった感じでした。
えらそうに言えたもんじゃありませんが、行く回数が増えれば話のうまいへたもなんとなくわかってきます。
そんな中、上手な人、名の知れた方の話を聞いていて感じた、
ああ、これが一流ってやつなんだろうな、という感覚があります。
それは、自他の境界をあやふやにする。
いくつかの話を聞いて、私が見出した噺家の技術です。
平たく言うと話を聞いていて涙が出ちゃうか、ということです。
私は「悔しさ」という感情にどうやら弱いようです。
噺家自身の話でもない、知っている誰かの話でもない。
そんな物語の中の人物の感情が、我が物のように感じてしまう。
噺家の方だってそうです。
自分が亀吉とお鶴を追い出したわけでもない、意地になって碁は打たないと言ったわけでもない。
なのに、そこにありありと「後悔の念」があるんです。
「悔しいだろうな」を通り越して「悔しい」って思っているんです。
そして涙がぽろりぽろり…。
昨今、いろんなメディアで落語は聞けますが、ぜひ、一度は生で経験してみて欲しい、芸能です。
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