多々良 昌代 TATARA MASAYO

志太本部
志太第1ブロック 教師
2000年3月入社

高い目標へ、ギアチェンジ!

学力は十分あるのに2番手校を志望。
欠けているのは、“背中を押す人”。

口数少なく、最初のころは返事も「ああ」とか「うん」のみ。しかし、本人としてはちゃんと話しているつもり。そんな、典型的な男子中学生、というのがM君に対する多々良の第一印象だった。
石橋を叩いて渡る性格であり、当時もリスクの少ない選択をしていた。学力的にはトップ高校を狙えるのに、2番手校を志望。ただ、行けるのであれば上位校に行きたいという本音も見て取れる。「よし、私がきっかけを作ってあげよう」。多々良の心は決まった。

持ち上げて、その気にさせる。

M君は、中学のサッカー部活以外に、別のセレクションに属する忙しい生徒だった。勉強したいのに時間が確保できず、気持ちが空回りしている部分もあったという。そこで、多々良はまず、時間の使い方を確認。その内に、実はそこそこ勉強の時間を持てていることがわかった。M君の問題は、心の持ちようだった。
多々良は、自信をつけさせるべく彼を持ち上げることに務めた。「これだけ勉強しているんだから、次のテストではこの科目だけ修正できれば大丈夫」など小さな目標を重ね、結果が出たタイミングを見て声を掛けるよう心がけた。

トップ高校へ!
ギアチェンジの瞬間を見届ける。

1学期の終わりのこと、M君の心の変化は、ある日突然、しかも静かに現れた。月に一度のテストに記入する志望校が、トップ高校の名前に変わっていたのだ。
多々良は振り返る。「あれが、ギアを入れ替えた瞬間。彼が大きく変わった時だと思う」と。志望校の書き換えに気づいた多々良は、すぐに声をかけた。
“志望校、上げることにしたの?”
“うん、頑張ってみる。”
M君の返事は、いつもと変わらずシンプルだった。
「自信がついて目標が定まった頃からは、いろんなことが安定したように思う。取りこぼしがなくなった」と多々良が語るように、M君はめきめき成長した。
自主的に取り組んだ課題を持参するなど、積極的に相談に来るようになり、学習意欲も出てきたという。そんな彼に多々良が与えたのは、課題。“いつまでに、何をやる”という目標を定め、課題をクリアするところまでをローテーション化して受験に備えた。

多々良は、合格を信じていた。

そして迎えた高校受験、残念ながらM君の手応えは、あまり芳しいものではなかった。家族にも多々良にも、あきらめの気持ちを吐露していた。しかし、多々良の考えは違った。「私は、合格すると思っていた。本人がいくら力を出せなかったと言っても、合格できるところまでは引き上げた自信があった」と多々良は振り返る。
課題の内容や進行状況、テストの結果を多々良自身の目で確認し続けた一年だった。M君がどのレベルまで到達したかを逐一チェックしてきたからこそ、合格を確信していたのだ。
そして運命の日… 結果は、もちろん“合格”だった。
「この一年、本当によかった! ホントにホントに、ありがとうございました」と、いつもよりテンション高く喜ぶ顔を見て、「受けさせて良かった」と、多々良は喜びをかみしめた。

“橋渡し”も重要な仕事。

多々良は、保護者と電話で話すことが多い。かけるのも、かかってくる電話も多く、保護者が本人には言わずこっそりかけてくることもよくある。
「親に状況を伝え、安心してもらうことが大事。三者面談でも、本人には聞かせない方がいいこと、本人が聞きたくないだろうことは、親だけに伝える。“こんな状況ですけど、こんな風に頑張っています”ということを報告する」と多々良。多くの生徒がいる中学校では、よほど問題や気になることがある生徒以外は、あまり詳しく報告や指導をしない傾向にあるからだ。「M君のような一定のレベルに達している生徒に関しては、特に。好きにやってくださいという感じなので、本人としては不安になってしまう。が、家でもなかなか言えないので、生徒は追い込まれてしまう」と多々良は分析する。
授業以外に行う多々良の作業は、傍からみれば大変なことだが、「あきないし、毎日新しい発見がある。一日が息つく暇もなく終わっていくので、達成感も大きく、日々充実している」と多々良はにこやかに笑う。根っからの“教師”なのである。

目標は、一人も不合格者を出さないこと。

「例えば、子供が忘れ物をするのは、子供が悪いのではなく、自分が悪い。言葉の使い方や確認の仕方が悪い。そんなことにも気づくようになった」秀英の教師になって15年、多々良は、人に伝える術が上達したと自負している。
塾の教師という仕事は、自身の人間力UPにも大きく影響しているようだ。目標は、一人の不合格者も出さないこと。全員が第一志望に合格すること。生徒とともに、多々良の挑戦と進化は続く。