こんにちは!
秀英予備校桑園小前校の佐藤です。
前回、すべてのことを『勉強化』するというお話をしました。
今回は混同しがちな『勉強』と『学習』の違いについて考えていきたいと思います。
皆さんは『勉強』と『学習』の違いは何か、わかりますか?
ではまず、前回と同様に『学習』というものの辞書的な定義を見てみましょう。
経験を重ねることによって行動が比較的持続的に変化し、安定し、その後の行動に効果をもつようになった場合をさす
コトバンク-日本大百科全書(ニッポニカ)より
このように、『学習』というものは「行動を変化させる」ものと定義されています。
前回の『勉強』は、「技術知識を学ぶこと」となっていました。
つまり『学習』とは、
『勉強』で得た経験が実生活上に行動として表れて、はじめて『学習』と呼ばれるわけです。
私が今、こうして塾の教師として心がけているのが、『勉強』の先の『学習』に生徒のみんなを引っ張っていけるか、ということです。
『学習』は人生を大きく変化させてくれます。
例えば、
「今まで吹替版でしか見たことがなかった洋画をオリジナルの音声で見るために字幕版を見るようになった」とか
「普段何気なく通り過ぎていた公園の木を、これは何の種類だろうかと調べてみる」とか
「これまでやっていたことを、もっと効率的にできるよう改善してみる」とか
様々なものに対する視点を増やすのが『学習』だと私は思います。
子どもが勉強をしない言い分として「大人になってこれは使うんですか?」というものがあります。
その答えは「使うものもあれば使わないものもある」でしょう。
私も正直「ベクトル」とか「複素数平面」とか、会社員になっていつ使うんだろうとか思います。
じゃあ、なぜそんなものをやるのか。
理由は二つあると考えます。
一つは「知識を増やし、興味のある分野を広げるため」だと思います。
しかし、多くの人にとって重要なのはもう一つの理由でしょう。
それが
「その単元の『勉強』を『学習』に昇華するため」です。
新しい単元、難しい単元、苦手な単元、どれも好き好んでやりたいものではありません。
ただ、人生にはそういった【壁】を乗り越えなければならないタイミングというのがいくつもあります。
勉強をするというのは、その【壁】が小さいうちに、乗り越える方法を学習するための手段なのです。
社会に出ると、目の前に迫る【壁】はどんどん高く、そして硬く、厚くなっていきます。
そういったものがない世の中になるのが理想なんでしょうが、現実はそううまくいきません。
そんな険しい【壁】に相対したとき、乗り越え方を知らなければ、ただただ押しつぶされて終わってしまいます。
今やっている勉強は
社会に出てから出会う【壁】に対抗する練習なのです。
私は、その壁を乗り越える方法をお伝えしていきます。
一人で乗り越えるのが難しければ、人の手を借りてもいいんです。
人の手を借りる方法を『学習』することも生きていく上で必要なことです。
皆さんの『学習』の手助けができるように、私は今日も『勉強』を教えてまいります。